
2013.1.13 「選手としても人間としても、僕は100%BVBに属している」 |
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ジグナル・イドゥナ・パルクのプレスルームに150人を集めて開かれた11日の記者会見では、ヌリ・シャヒンの妻トゥグバさんの姿もあった。ボルシア・ドルトムントの“迷子”はフラッシュの嵐の前で次のようにコメントしたが、彼女の目も同じことを語っていた。「我が家に戻れてとてもうれしい。少しでも早くドルトムントに戻りたかったから、昨夜は3時間しか寝ていないんだ」

ヌリが帰って来た!
ハンス・ヨアヒム・バツケCEOが喜びをもって言ったように、「ヌリが帰って来た!」。2014年夏までの期限付き移籍で、規定に従うため、まずは6カ月、その後さらに1年間のレンタルという形をとる。それ以降についてははっきりしていないが、スポーツディレクターのミヒャエル・ツォルクは、「取り決めをしており、我々は優位な立場にある」ことをほのめかした。
交渉は驚異的なスピードで進められ、金曜夜にジグナル・イドゥナ・パルクで記者会見を開く運びとなった。その模様はインターネットで中継されたが、(アクセスが殺到し)サーバーがクラッシュしかけた。2011年からシャヒンが所属するレアル・マドリーから交渉の用意があるとの連絡があったのは、つい水曜夜のことだった。
「記録的なスピードで交渉をまとめた」。こう説明したバツケCEOは、11日午前にキャンプ地ラ・マンガからドルトムントへ飛行機で戻り、ツォルクとシャヒン、その代理人のファツェリ氏ともに最後の詰めに臨んだ。会見で、バツケCEOはレアル・マドリーへの謝意を表した。「彼らはまたしても偉大な、あるいは世界一偉大なクラブであることを示してくれた」。イタリアのクラブも土壇場で関心を示したようだが、交渉は「公明正大に」行われたという。
「ヌリは大幅な棒給ダウンを受け入れた」
それはシャヒンとの交渉にも言えることだった。「ヌリはボルシア・ドルトムントの財政事情をよく理解してくれ、大幅な棒給ダウンを受け入れた。これほどの減俸は、サッカー界ではまずあり得ないことだ」。だが、シャヒンと彼が2001年から10年にわたりプレーしていたクラブとの密接な関係を考えれば、それほど驚くべきことではないのかもしれない。16歳と355日でブンデスリーガデビューを果たし、リーグの最年少出場記録を更新。さらに17歳と81日でゴールを決め、クラブの最年少得点記録を塗り替えた。ツォルクは言う。「ヌリには際立つ実力があり、気骨もあってこのクラブとチームに完璧に合う選手だ」

代理人のレツァ・ファツェリ氏と妻のトゥグバさん
2011年、トルコ系ドイツ人(リューデンシャイト生まれマイナーツハーゲン育ち)のシャヒンはブンデスリーガの選手による投票でシーズン最優秀選手に選ばれ、BVBがリーグ優勝を果たすと、レアル・マドリー入団の夢を実現させた。優勝祝賀の際、バツケCEOは「ヌリ、君は我々の息子だ。ドアはいつでも開けておくよ」と復帰の道をつくっておいた。
そのドアをくぐって戻ってきたシャヒンは、状況は以前から大きく変わったことを理解している。「チーム内には競争がある。やつらは僕がいなかった1年半の間にさらに成長した。僕は誰かの場所を奪うためにここへ来たんじゃない。ボルシア・ドルトムントの成功が最重要だ。でも、自分の力をもってすればチームに役立つことができるとも思っているよ」
この1年半、シャヒンは出場機会に恵まれず、完全に復調するまでには時間がかかるかもしれない。ツォルクは次のように訴えた。「だから期待し過ぎないようにしてほしい。ヌリがあまり大きな期待を背負わずプレーできるようにね。彼が感覚を取り戻し、復帰が成功するように、時間を与えよう」

記者会見に臨んだバツケCEO、シャヒン、ツォルク
シャヒンは忘れてしまいたい、不遇の時を送った。「サッカー選手としても人間としても、僕は100パーセントボルシア・ドルトムントに属している」。マドリーとリバプールを経て戻ってきたクラブで安堵した様子を見せる24歳のMFは、このように語った。「メディカルチェックを受けて来たけど、知っている顔ばかりだった。チームのみんなやファンに会うのが楽しみだ。歓迎されているように感じるよ」
実際、ドルトムントはシャヒンを歓迎している。歓迎どころではない!クラブの経営陣、ユルゲン・クロップ監督や以前の、そして新しいチームメートたちとは、連絡を取り続けていたと言う。「一緒にネットでプレイステーションをしたり、電話で話したり、メールしたりしていた。知り合いの選手も、まだ知らない選手も、会うのが楽しみだよ」
