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2020.1.7

「永遠の記憶に刻まれたウェンブリーのゴール」

「永遠の記憶に刻まれたウェンブリーのゴール」

5日正午過ぎ、ハンス・ティルコフスキが長い闘病生活の末に84歳で亡くなったことを受け、ボルシア・ドルトムントは深い悲しみに包まれている。1935年7月12日にドルトムント=フーゼンの炭鉱地区で生まれたティルコフスキは、1950、60年代に世界屈指のゴールキーパーとしての評価を確立。その端正な顔立ちから名優ポール・ニューマンとも比較された守護神の名前は、西ドイツがウェンブリーでイングランドに敗れた1966年ワールドカップ決勝での疑惑のゴールと共に長く記憶され続けてきた。友人のジャーナリスト、ハンス・オストが書いた自伝のタイトルも、「Und ewig fällt das Wembley-Tor(永遠の記憶に刻まれたウェンブリーのゴール)」だった。

 

 

10代の頃から抜群の身体能力を誇ったティルコフスキは、まずSVフーゼン(1946-49)で右ウイングとして活躍。しかしゴールキーパー不在時に代理を務めたことがきっかけとなり、新たなポジションで才能を開花させる。その後はSuSカイゼラウ(1949-55)で評価を高め、オーバーリーガ西部(当時のトップリーグ)のベストファリア・ヘルネ(1955-63)と契約。BVBやシャルケ04、1FCケルンといった名門クラブを差し置いての優勝に貢献した。その活躍ぶりは西ドイツ代表を率いるゼップ・ヘルベルガー監督の目にも留まっており、1957年4月3日にアムステルダムで行われたオランダ戦で代表にデビュー。この試合ではアキ・シュミットの決勝ゴールにより2-1の勝利を収めている。

 

カリスマ性にあふれたゴールキーパーは、ヘルネの「顔」として最後尾から若きチームをけん引。黒で統一されたユニフォームを身にまとい、どんな時でも冷静で落ち着いたプレーを披露した。1958-59シーズンのヘルネがリーグ戦30試合で23失点しか許さず、ドイツ西部でその存在感を高めたのも、ティルコフスキのおかげと言っても過言ではなかった。そしてブンデスリーガ発足を目前に控える1963年、公式戦219試合に出場したヘルネを離れ、ついにBVBへ移籍する。

 

1963年8月31日にロート・エルデ・シュタディオンでTSV 1860ミュンヘンと3-3で引き分けた一戦では、ブンデスリーガ史上初めてPKを阻止したゴールキーパーとして歴史にその名を刻んだ。しかし最も強い印象を残した試合と言えば、1963年11月6日に行われた欧州チャンピオンズカップのSLベンフィカ戦だろう。ブラック&イエローは1-2で敗れたものの、好セーブを連発したティルコフスキがエウゼビオや敵地のファンを大いに悔しがらせた。

 

1965年にはBVBのDFBポカール制覇に貢献し、ゴールキーパーとして初めてドイツ年間最優秀選手に選出。その翌年にも欧州カップウィナーズカップで輝きを放ち、グラスゴーのハムデン・パークでリバプールを延長戦の末に下して栄冠を勝ち取った。そして迎えたのが、1966年7月にサッカーの母国で行われたワールドカップ。ティルコフスキにとっては栄光を手にするはずの大会だったが、ジェフ・ハーストの“疑惑のゴール”が認められて準優勝に終わった。

 

BVBでリーグ戦81試合、西ドイツ代表としても通算39試合に出場したティルコフスキは、ハインツ・ムラッハ監督との関係がうまくいかなかったこともあり、1967年にBVBを退団。その後はアイントラハト・フランクフルトへ活躍の場を移し、計40試合に出場した。1970年の現役引退後はケルン体育大学でスポーツマネージメントを学びつつ、1982年まで12年間にわたって監督を歴任。ベルダー・ブレーメン(2期)、TSV 1860ミュンヘン、1FCニュルンベルク、1FCザールブリュッケン、AEKアテネで指揮を執った。

 

 

1965年6月5日、14万5000人の大観衆が見守るマラカナンでワールドクラスのセーブを連発し、あのペレにも絶賛された「リオの星」は、サッカーを離れた世界でも精力的に活動した。妻ルイーゼさんとの間に3人の子供(ズザンネ、ラルフ、ウーベ)を授かったティルコフスキは、多発性硬化症患者を助けるための活動や、嚢胞(のうほう)性線維症治療のための基金、児童救護施設など社会貢献活動に長年携わりつつ、白血病や腫瘍、ガンに苦しむ子供たちを救うためのチャリティーマッチでもプレー。これまでにシルバーローレルリーフや複数の勲章を受け取っている他、2008年10月14日には地元ヘルネの中等学校がハンス=ティルコフスキ=シューレと命名された。

 

BVB永代名誉会員の忘れ得ぬ記憶

 

BVBのラインハルト・ラウバル会長は「ハンス・ティルコフスキの死去により、ドイツ・サッカー界は世界的に高く評価されたスポーツマンの一人を失ったことになる」と語った。「ボルシア・ドルトムントでは1966年にリバプールを下し、ドイツのチームとして初めて欧州の頂点に立つという歴史を作った。ティルコフスキは決勝だけでなく、そこに至るまでのラウンドでもセーブを連発して勝利に大きく貢献した。引退後も常に他者の幸せを願い、亡くなる直前まで社会活動に関わり続けていた。BVBファミリーはこの素晴らしい人物を失った悲しみに包まれている。ご家族には心から哀悼の意を表したい」

 

文:フリッツ・ルンシェルマン

 

 

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