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2016.11.13

「アキはブラック&イエローの象徴だった」

「アキはブラック&イエローの象徴だった」

「寂しくなるよ!」。ボルシア・ドルトムントで一時代を築いたアルフレート・シュミットが11日に重病のため81歳で死去したことを受け、BVB長老評議会のボルフガング・パウル会長はこう嘆いた。「まだ信じられない。アキは最後の最後まで、自分の健康回復を信じていた」

 

“ベルクホーフェナー・ユンゲ”(ベルクホーフェンの少年)の愛称でも知られたシュミットは、ドイツ代表としても25試合に出場し、1958年のワールドカップでプレー。ドルトムントの選手として初めてドイツ代表のキャプテンになった。BVBでは1957年と1963年にドイツ王者となり、1965年にDFBポカールを獲得。1966年にはチームの欧州カップウィナーズカップ優勝に貢献した。

 

 

「アキ・シュミットはブラック&イエローの象徴だった」。BVBの黄金期を支え、つい最近までクラブのために積極的に活動していたレジェンドについて、ラインハルト・ラウバル会長はこうコメントした。「すべてのBVBファミリーにとって、あまりにも悲しい一日だ」とハンス=ヨアヒム・バツケCEOは語った。「この偉大なフットボーラーが現役時代に残してくれた美しい思い出の数々や、近年に我々と共に過ごした素晴らしい時間をいつまでも忘れることはない」。1966年にシュミットと共に欧州カップウィナーズカップを手にしたボルフガング・パウルは「長年ピッチの内外で素晴らしい日々を一緒に過ごした」と振り返り、次のように続けた。「アコーディオンとドルトムントらしいユーモアで、いつもエンターテイナーとして振る舞っていた」

 

ベルクホーフェンからボルジッヒプラッツへ

 

実り多くも、波乱に富んだ人生だった。空襲の被害にあった郊外の街ベルクホーフェンで育ち、苦難を味わった。「ストリートサッカーをしていた。それ以外にやることはなかった。サイレンが鳴ると防空壕に駆け込んだものだよ」。自宅ががれきになったのを見て、こう決心したという。「はい上がらなくては。自分にはサッカーができる。いつかボルシアでプレーしたいと思っている人は大勢いるが、頑張ればいつか夢のクラブでプレーできるはずだ」

 

キャリアの序盤に大きな失意を味わったが、それがその後の成長の原動力になったと言えるかもしれない。1957年のドイツ選手権決勝で、ヘルムート・シュナイダー監督は前年タイトルを取ったときと全く同じ先発メンバーを起用することを決めた。つまり、当時すでにドイツA代表でプレーし、チームの決勝進出に大きく貢献したアキ・シュミットの名はメンバー表になかった。「戦争後で最悪の経験だった。理由がわからなかったからね。サッカーの世界があれほど不公平に見えたことはないよ! 傲慢だと思われたくはないが、私は当時チームで最高の選手の1人だった。なのにメンバーに選ばれなかったんだ」

 

1958年のワールドカップで練習中に仲間と言葉を交わすアキ(左から2番目)

 

このことでシュミットと同様にショックを受けたドイツ代表のゼップ・ヘルベルガー監督が、電話でこう励ましてくれたそうだ。「来週ベルリンで試合があるんだが、キミが必要なんだアキ!」。「父のような存在だった」というヘルベルガー監督の下、シュミットは数週間前の1957年4月3日にアムステルダムでオランダと戦い、決勝点をマーク。世界王者を2-1の勝利に導いていた。

 

黄金期を形成

 

その後、シュミットはBVBの重要メンバーの1人としてクラブの黄金期を支えた。BVBは1961年にドイツ選手権決勝に進出。この時は1FCニュルンベルクに0-3で敗れたものの、1963年の決勝では1FCケルンに3-1で勝利。ただ、DFBポカール決勝ではハンブルガーSVに0-3で屈してしまった。1963-64シーズン、シュミットは欧州チャンピオンズカップで活躍。王者ベンフィカとの準々決勝第2戦では5-0の大勝の立役者となった。さらに1965年、キャプテンとしてBVBをDFBポカール決勝進出に導くと、決勝でアレマニア・アーヘンを0-2と下してトロフィーを掲げている。

1965-66シーズンの初め、BVBは監督と共にキャプテンも替えた。チームの方針でボルフガング・パウルにキャプテンの座を譲ったシュミットは、のちにこう語っている。「自分にとって問題なかったよ。ボルフガングはその役割をこなせる選手に成長し、模範的なキャプテンになった」

 

BVBはアキを中心として1966年にドイツ勢として初めて欧州タイトルを獲得

 

そのシーズンの欧州カップウィナーズカップで、BVBはバレッタ、CSKAソフィア、アトレティコ・マドリー、そして王者ウェストハム・ユナイテッドを退けて決勝に進出。1966年5月5日に強敵リバプールと対戦した。昼食後、ビリー・ムルタウプ監督は試合を前にしたチームにこう語っていたという。「彼らと10回戦っても、勝てるのは1回だけだろう。だが、今夜の試合をその1回にするんだ!」。シュミットは当時をこう振り返っている。「このときのミーティングは、私が前にも先にも経験したことがないようなものだった」。そしてムルタウプ監督の思惑どおり、BVBは延長戦の末に2-1の勝利を収め、タイトルをつかんだ。

 

永遠のブラック&イエロー

 

BVBに対して忠実であり続けたシュミットは、1956年から1968年までクラブでプレー。1997年にはファンコーディネーターおよびスタジアムガイドとなった。「1957年の決勝でメンバーから外されたあと、退団すると思われていた私のもとにはオファーが殺到した。だが、私は退団しなかった。ドルトムントとは密接につながっているし、ボルシアは常に私のクラブだったからね」

 

彼が愛したクラブは、今後もその功績を称え続けるだろう。BVBはドイツ・サッカーリーグ(DFL)に対し、バイエルン・ミュンヘンとのホームゲームの前に1分間の黙祷を捧げる許可を求めている。

 

文:ボリス・ルパート

 

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