
功績 |
2012年5月 |
クラブ記録となる勝ち点81でブンデスリーガ連覇を果たしたのち、ドイツ・カップ決勝でもバイエルン・ミュンヘンに5-2と快勝し、103年に及ぶクラブ史上初の国内2冠を達成した。
2011年5月 |
2011年5月14日、ブンデスリーガのトロフィーがドルトムントに帰還。2位レバークーゼンに勝ち点7差をつけ、通算7度目のリーグ優勝を決めた。
2008年7月 |
ドイツ・カップ決勝では延長戦の末にバイエルン・ミュンヘンに1-2と屈したものの、数週間後の7月23日、ブンデスリーガ王者となったバイエルンと再び顔を合わせたTホーム・スーパーカップでは、2-1(前半2-0)と勝利してリベンジ。1989、1995、1996年に続く4度目のスーパーカップ制覇だった。
2003年5月18日 |
女子ハンドボールチームがチャレンジ・カップで優勝。
2002年5月 |
主将シュテファン・ロイターが銀色に輝くトロフィーをドルトムントの曇り空に掲げた。ブンデスリーガ最終日は、ドルトムント、レバークーゼン、バイエルン・ミュンヘンの熾烈な三つ巴となったが、最終的にクラブ史上6度目のリーグ優勝を果たしたのは、黒と黄色のユニフォームに身を包んだボルッセン(ドルトムントの選手たちの愛称)だった。
1997年 |
女子ハンドボールチームがDHB(ドイツ・ハンドボール協会)カップで優勝。
1997年5月 |
ミュンヘンのオリンピアシュタディオンでユベントスを3-1と下し、UEFAチャンピオンズリーグを制覇。同年12月には、東京で開催されたクラブチーム世界一を決めるトヨタカップで南米チャンピオン、クルゼイロECに2-0と勝利し、クラブ世界王者となった。
ユベントス戦の出場メンバー:
クロス、コーラー、ザマー、クレー、ロイター、ランバート、ソウザ、メラー(ツォルク 89分)、ハインリヒ、リードレ(ヘアリヒ 67分)、シャプイサ(リッケン 70分)
ドルトムントの得点者:
リードレ(2)、リッケン
クルゼイロ戦の出場メンバー:
クロス、ファイアージンガー、ロイター、セーザル、フロイント、ソウザ、ツォルク(キロフスキ 80分)、ハインリヒ、メラー、ヘアリヒ、シャプイサ(デハイフェル 75分)
ドルトムントの得点者:
ツォルク、ヘアリヒ
1996-97シーズン |
マティアス・ザマーが欧州最優秀選手賞(バロンドール)を受賞した。
1996年 |
ドルトムントのマティアス・ザマーが主将を務めたドイツ代表が、欧州選手権決勝でチェコを破って優勝。ドルトムントからはほかにもアンドレアス・メラー、シュテフェン・フロイント、そしてユルゲン・コーラーが出場した。
1995&1996年 |
ドルトムントが2年連続でドイツ王者となった。1995年はスーパーカップでメンヘングラッドバッハに1-0と勝利。1年後の同大会ではカイザースラウテルンと延長戦まで戦って1-1と引き分け、最後はPK戦を5-4で制した。祝勝会はフリーデンスプラッツ(ドルトムント市内の広場)で行われた。
1993-1998年 |
1993、1996、1998年:U-17チームが国内リーグで優勝。
1994-1998年:U-19チームが国内リーグで優勝。
1992年 |
フレミング・ポブルセンが出場したデンマークが、欧州選手権の決勝でドイツに2-0と勝利し、見事優勝を果たした。
1991年 |
この年、就任したオットマール・ヒッツフェルト監督の下、ドルトムントはリーグ2位で終了。1993年にはUEFAカップで決勝まで進出したが、ユベントスに第1戦で1-3、第2戦で0-3と敗れ、優勝は逃した。
1989年 |
この年はカップ戦の年となった。ドイツ・カップ決勝では、ベルダー・ブレーメンを4-1と圧倒してクラブ史上2度目の優勝。スーパーカップでもバイエルン・ミュンヘンを3-2で制した。
ドイツ・カップ優勝メンバー:
デ・ベア、クロト、クトフスキ、ヘルマー、ブライツケ(ルシュ)、ツォルク、マクラウド、メラー、ルンメニゲ、ディッケル(シュトルク)、ミル
ドルトムントの得点者:
ディッケル(2)、ミル、ルシュ
1976年 |
ニュルンベルクに1-0、3-2と2勝し、ブンデスリーガに復帰。
1966年 |
ローター・エメリッヒ、ジークフリート・ヘルト、ボルフガンク・パウル、ハンス・ティルコフスキがワールドカップ・イングランド大会に出場。エメリッヒはスペイン戦で「世紀のゴール」と呼ばれるスーパーゴールを決めた。エメリッグ、ヘルト、ティルコフスキはイングランドとの決勝にも出場したが、2-4で敗れて準優勝に終わった。
1966年 |
スコットランドのグラスゴーでリバプールを2-1と下し、ドイツチームとして初めてUEFAカップウィナーズカップを制覇した。
ドルトムントの出場メンバー
ティルコフスキ、シリアックス、レッダー、クーラト、パウル、アザウアー、リブダ、シュミット、ヘルト、シュトルム、エメリヒ
ドルトムントの得点者
ヘルト、リブダ
1965年 |
ハンス・ティルコフスキが年間最優秀選手に選ばれた。
1965年 |
アレマニア・アーヘンを2-0で下し、DFB(ドイツ・サッカー協会)のカップ戦(ドイツ・カップ)で初優勝を果たした。
ドルトムントの出場メンバー
ティルコフスキ、シリアックス、レッダー、クーラト、パウル、シュトラシッツ、ボーザプ、シュトゥルム、シュミット、コニーツカ、エメリヒ
ドルトムントの得点者
シュミット、エメリッヒ
1963年 |
1FCケルンを3-1で退け、ブンデスリーガ創設前最後のドイツ王者となった。
ドルトムントの出場メンバー
ベッセル、ブルクスミュラー、ガイスラー、クーラト、パウル、ブラハト、ボーザプ、シュミット、シュッツ、コニーツカ、シリアックス
ドルトムントの得点者
クーラト、ボーザプ、シュミット
1961年 |
国内リーグの優勝決定戦でニュルンベルクに0-3と敗れ、準優勝に終わった。
1957年 |
ドルトムントが年間最優秀チームに選出された。
1956&1957年 |
この2年は全く同じメンバーで国内リーグ2連覇を達成(1956年はカールスルーエに4-2、1957年はハンブルガーに勝利)。翌1958年にはUEFAカップウィナーズカップに初出場を果たした。
リーグ2連覇メンバー
クビアトコフスキ、ブルクスミュラー、ザントマン、シュレプロフスキ、ミヒャレク、ブラハト、ペーテルス、プライスラー、ケルバッサ、ニーピークロ、カピトゥルスキ
カールスルーエ戦の得点者
ニーピークロ、ケルバッサ、ペーテルス、プライスラー
ハンブルガー戦の得点者
ニーピークロ(2)、ケルバッサ(2)
1954年 |
GKハインリヒ・クビアトコフスキがドルトムントの選手として初めてワールドカップに出場し、3-8と大敗したグループステージのハンガリー戦でゴールを守った。スイスで行われたこの大会は、最終的に西ドイツが優勝している。
1949年 |
猛暑のシュツットガルトで行われた国内リーグの優勝決定戦でVfRマンハイムに2-3と競り負け、準優勝に終わったが、多くの観客がチームを出迎えた。
ドルトムントの出場メンバー
ラウ、ルームホファー、ハルフェン、ブッデンベルク、コシュミーダー、シャンコ、エアトマン、ミヒャレク、カスペアスキ、プライスラー、イベル
ドルトムントの得点者
エアトマン(2)
1947年 |
ベストファーレンリーガ決勝でシャルケに3-2と競り勝ち、ついに宿敵シャルケを王座から引きずり下ろした。
伝説チームのメンバー
クロンスバイン、ルームホファー、ハルフェン、ミヒャレク、コシュミーダー、ヤノフスキ、ザントマン、プライスラー、レンツ、イベル、ポトゴルスキ
ドルトムントの得点者
ルームホファー、ミヒャレク、ザントマン
1943年 |
この年の11月、トップチームがシュタディオン・ローテエルデでクナッペン(シャルケの選手たちの愛称。坑夫の意味)から初めて勝利を挙げた。ゴールを決めたのはアウグスト・レンツ。
1938年 |
ミヒャレク、コシュミーダー、ルームホファーらを擁したドルトムントのU-19チームが、シャルケを3-2で破り、ベストファーレン地方のチャンピオンとなった。
1936年 |
ベストファーレン州(ドイツ北西部の旧州)のトップリーグ、ガウリーガ・ベストファーレンに昇格。
1936年 |
アウグスト・レンツがこの年のベルリン・オリンピックに出場し(0-2で敗れたノルウェー戦)、ドルトムントの選手としてオリンピックでプレーした最初の選手となった。
1935年 |
アウグスト・レンツがドルトムントのドイツ代表第1号となり、その後、代表で通算14試合に出場した。
1926-27シーズン |
このシーズンはトップリーグでプレーしたが、翌年、降格した。
歴代監督 |
監督 | 就任 | 退任 |
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ペーター・ボス | 2017年7月1日 | |
トーマス・トゥヘル | 2015年7月1日 | 2017年5月30日 |
ユルゲン・クロップ | 2008年7月1日 | 2015年6月30日 |
トーマス・ドル | 2007年3月13日 | 2008年5月19日 |
ユルゲン・レーバー | 2006年12月19日 | 2007年3月12日 |
ベルト・ファン・マルバイク | 2004年7月1日 | 2006年12月18日 |
マティアス・ザマー | 2000年7月1日 | 2004年6月30日 |
ウド・ラテック | 2000年4月16日 | 2000年6月30日 |
ベルント・クラウス | 2000年2月5日 | 2000年4月12日 |
ミヒャエル・スキッベ | 1998年7月1日 | 2000年2月4日 |
ネビオ・スカラ | 1997年7月1日 | 1998年6月30日 |
オットマール・ヒッツフェルト | 1991年7月1日 | 1997年6月30日 |
ホルスト・ケッペル | 1988年6月27日 | 1991年6月30日 |
ラインハルト・ザフティヒ | 1986年4月20日 | 1988年6月26日 |
パル・チェルナイ | 1985年7月1日 | 1986年4月20日 |
エーリッヒ・リベック | 1984年10月28日 | 1985年6月30日 |
フリードヘルム・コニエツカ | 1984年7月1日 | 1984年10月24日 |
ホルスト・フランツ | 1983年11月16日 | 1984年6月30日 |
ホルスト・ディーター・ティッペンハウアー | 1983年10月31日 | 1983年11月15日 |
ウリ・マズロー | 1983年7月1日 | 1983年10月23日 |
ヘルムート・ビッテ | 1983年4月6日 | 1983年6月30日 |
カールハインツ・フェルトカンプ | 1982年7月1日 | 1983年4月5日 |
ブランコ・ゼベツ | 1981年7月1日 | 1982年6月30日 |
ロルフ・ボック | 1981年5月11日 | 1981年6月30日 |
ウド・ラテック | 1979年7月1日 | 1981年5月10日 |
ウリ・マズロー | 1979年4月30日 | 1979年6月30日 |
カール・ハインツ・リュール | 1978年5月21日 | 1979年4月29日 |
オットー・レーハーゲル | 1976年6月14日 | 1978年4月30日 |
ホルスト・ブーツ | 1976年2月1日 | 1976年6月13日 |
オットー・クネフラー | 1974年7月1日 | 1976年2月1日 |
ヤーノシュ・ベドル | 1973年7月1日 | 1974年6月30日 |
ディーター・クラット | 1973年3月2日 | 1973年6月30日 |
ヘルベルト・ブルデンスキ | 1972年1月3日 | 1973年3月1日 |
マックス・ミヒャレク | 1972年11月1日 | 1973年3月1日 |
デトレフ・ブリュッゲマン | 1972年7月1日 | 1972年10月31日 |
ホルスト・ビッツラー | 1970年7月1日 | 1971年12月21日 |
ヘルマン・リンデマン | 1969年3月21日 | 1970年6月30日 |
ヘルムート・シュナイダー | 1968年12月17日 | 1969年3月17日 |
オスバルト・プファウ | 1968年4月18日 | 1968年12月16日 |
ハインツ・ムラッハ | 1966年7月1日 | 1968年4月10日 |
ビリ・ムルトハウプ | 1965年7月1日 | 1966年6月30日 |
ヘルマン・エッペンホフ | 1963年7月1日 | 1965年6月30日 |
FAQ |
BVBの歴代チームキャプテンは? |
セバスティアン・ケール (2009-)
クリスティアン・ベルンス (2004-2008)
クリストフ・メッツェルダー (2003-2004)
シュテファン・ロイター (1997-2003)
ミヒャエル・ツォルク (1988-1997)
フランク・ミル (1987-1988)
ディルク・フープ (1985-1987)
ロルフ・ルスマン (1983-1985)
マンフレート・ブルクスミュラー (1979-1983)
ローター・フーバー (1977-1979)
クラース・アッカーマン (1974-1977)
ホッピー・クーラト (1971-1974)
ジークフリート・ヘルト (1968-1971)
ボルフガング・パウル (1965-1968)
アルフレート・シュミット (1963-1965)
ビリ・ブルクスミュラー (1962-1963)
ワールドカップ優勝を経験したBVBの歴代選手は? |
BVBのGKだったハインリヒ・クビアトコフスキは1954年のワールドカップ・スイス大会にドイツ代表として参加し、ボルッセ(ボルシア・ドルトムントの選手)で初めてワールドカップ優勝を経験しました。
アンドレアス・メラーとフランク・ミルは、1990年のワールドカップでドイツ代表として世界王者に輝きました。同じくこの大会でドイツ代表のメンバーだったシュテファン・ロイターとユルゲン・コーラーは、のちにBVBに加わっています。
BVBの1試合最多得点記録を持つ選手は? |
1982年11月6日のアルミニア・ビーレフェルト戦で、マンフレート・ブルクスミュラーは5ゴールを挙げてチームを11-1の大勝に導きました。ブルクスミュラーはそのほか、5試合で3ゴール、23試合で2ゴールを記録しています。
BVBのブンデスリーガ初ゴールを決めた選手は? |
1963年8月24日に行われたSVベルダー・ブレーメンとのアウェー戦で、フリートヘルム・コニーツカが開始1分にBVBのブンデスリーガ初ゴールを記録しました。同じ試合で生まれたBVBの2点目を決めたのもコニーツカでした。しかし、チームはこの試合に2-3で敗れています。
代表キャップ数が最も多いBVBの歴代選手は? |
1. ユルゲン・コーラー:105キャップ(代表デビュー:1986年9月24日のデンマーク戦、2-0で勝利)
2. アンドレアス・メラー:85キャップ(代表デビュー:1988年9月21日のソ連戦、1-0で勝利)
BVBのブンデスリーガ最多得点選手は? |
BVBだけでなくブンデスリーガの全クラブの得点者リストを、「データ」のコーナーでご覧いただけます。
BVB史上初の代表選手は? |
ボルッセで初めてドイツ代表に選ばれたのは、クラブのレジェンド、アウグスト・レンツです。1935年4月28日にブリュッセルで行われたベルギー戦(ドイツが6-1で勝利)で代表デビューを果たし、その試合で2ゴールを記録しました。最終的に代表で14試合9ゴールという通算成績を残しています。その功績をたたえ、シュトローベルアレーにあるクラブのオフィスは“アウグスト・レンツ・ハウス”と呼ばれています。
1997年のトヨタカップ優勝メンバーは? |
1997年12月2日、BVBは東京で5万5000人の観衆を前に行われた一戦で南米王者クルゼイロ・ベロ・オリゾンテ・エスポルテ・クルーベを2-0(前半1-0)で破り、事実上のクラブ世界王者に輝きました。
BVボルシア09ドルトムント:
クロス ファイアージンガー ロイター、セザール フロイント、ソウザ、ハインリヒ、メラー、ツォルク(キロフスキ 80分)- ヘアリヒ、シャプイサ(デハイフェル 75分)
得点者:
1:0 ツォルク(34分)、2:0 ヘアリヒ(85分)
1997年のチャンピオンズリーグ優勝メンバーは? |
1997年5月28日、BVBはユベントス・トリノとのチャンピオンズリーグ決勝を3-1で制しました。
BVボルシア・ドルトムント:
クロス、ザマー、コーラー、クレー、ロイター、ランバート、ソウザ、ハインリヒ、メラー(ツォルク 89分)、リードレ(ヘアリヒ 67分)、シャプイサ(リッケン 70分)
リザーブ:デ・ベア(GK)、トレチョク
監督:ヒッツフェルト
ユベントス・トリノ:
ペルッツィ、ポリーニ(デル・ピエロ 46分)、フェラーラ、モンテーロ、ジュリアーノ、ディ・リービオ、デシャン、ユーゴビッチ、ジダン、ボクシッチ(タッキナルディ 88分)、ビエリ(アムルーゾ73分)
リザーブ:ランプッラ(GK)、ペッソット
監督:リッピ
得点者
1:0 リードレ(29分)、2:0 リードレ(34分)、2:1 デル・ピエロ(64分)、3:1 リッケン(71分)
1996年のスーパーカップ優勝メンバーは? |
1996年8月3日、BVBは1FCカイザースラウテルンを破り、3度目のドイツ・スーパーカップ優勝を果たしました。
BVボルシア09ドルトムント:
クロス、ザマー(フォクト 91分)、コーラー(クトフスキ 59分)、ハインリヒ、ボルタース、ロイター、メラー、ツォルク、バイラント、リッケン(ブット 67分)、シャプイサ
得点者:
0:1 マーシャル(54分)、1:1 ボルタース(66分)
PK戦でシャプイサ、ブット、ツォルク、バイラントが成功し、BVB勝利
1995年のスーパーカップ優勝メンバーは? |
BVBはボルシア・メンヘングラッドバッハを1-0で破り、2度目のドイツ・スーパーカップ優勝を果たしました。
BVボルシア09ドルトムント:
クロス、ロイター、コーラー(シュミット 72分)、セザール、クレー、ザマー、フロイント、ベルガー、ラインハルト(クルツ 89分)、メラー、リッケン(トレチョク 87分)
得点者:
1:0 セザール(71分)
1989年のスーパーカップ優勝メンバーは? |
1989年7月25日、BVBはFCバイエルン・ミュンヘンを4-3で破り、ドイツ・スーパーカップ初優勝を果たしました。
BVボルシア09ドルトムント:
デ・ベア(マイヤー 76分)、クロート、ヘルマー、シュルツ、ブライツケ、ツォルク、メラー、マクラウド(クトフスキ 46分)、M.ルンメニゲ、ベグマン、ドリラー
得点者:
0:1 マキナリー(21分)、1:1 ブライツケ(40分)、1:2 グラハマー(42分)、2:2 ブライツケ(56分)、3:2 ベグマン(64分)、3:3 ミハイロビッチ(66分)、4:3 メラー(88分)
1989年のDFBカップ優勝メンバーは? |
1989年6月24日、BVBはベルリンのオリンピック・スタジアムで行われたDFBカップ決勝でSVベルダー・ブレーメンと戦い、7万5500人の大観衆の前で4-1(前半1-1)の勝利を収めて2度目の大会優勝を果たしました。
BVボルシア09ドルトムント:
デ・ベア、クロート、クトフスキ、ヘルマー、マクラウド、ブライツケ(ルシュ 73分)、ツォルク、メラー、ルンメンゲ、ディッケル(シュトルク 76分)、ミル
得点者:
0:1リードレ(15分)、1:1 ディッケル(21分)、2:1 ミル(58分)、3:1 ディッケル(73分)、4:1 ルシュ(74分)
1965年のDFBカップ優勝メンバーは? |
1965年5月22日、BVBはハノーファーで4万8000人の観客を前に行われた決勝でアレマニア・アーヘンと対戦し、2-0の勝利を収めてDFBカップ(ドイツ・カップ)初優勝を果たしました。
BVボルシア09ドルトムント:
ティルコフスキ、チリアクス、レッダー、クーラト、パウル、シュトラシッツ、ボーザプ、シュトルム、シュミット、コニーツカ、エメリヒ
得点者:
1:0 シュミット(11分)、2:0 エメリッヒ(19分)
1966年のカップウィナーズカップ優勝メンバーは? |
1966年5月5日、BVBはグラスゴーで4万1600人の観客を前に行われたカップウィナーズカップ決勝でFCリバプールと戦い、延長戦の末に2-1(前半0-0、後半1-1)で勝利して欧州タイトルを手にしました。
BVボルシア09ドルトムント:
チコフスキ、チリアクス、パウル、アザウアー、レッダー、D.クーラト、シュトルム、リブダ、A.シュミット、ヘルト、エメリッヒ
得点者:
1:0 ヘルト(61分)、1:1 ハント(68分)、2:1 リブダ(106分)
BVBが収めた最多得点差勝利は? |
1982年11月6日にホームで行われたアルミニア・ビーレフェルト戦で、11-1の勝利を収めています。
7-0の勝利は過去3度記録しています。1965-66シーズンのシャルケ04戦、1966-67シーズンのHSV戦、1986-87シーズンのブラウ・バイス・ベルリン戦です。
アウェーでの最多得点差勝利は、1994-95年に記録しています(1FCケルンに6-1で勝利)。
しかし、BVBが公式戦での最多得点差勝利を収めたのはBSVシュベンニンゲンと対戦した1978-79シーズンのDFBカップ1回戦で、スコアはなんと14-1でした!
欧州カップ戦での最多得点差勝利を記録したのは、1965-66シーズンのカップウィナーズカップでのこと。フロリアナ・ラ・バレッタ(マルタ)を8-0で退けています。
BVBが収めた過去最大の成功は? |
BVBが過去に収めた成功や選手たちの偉業は、クラブ 功績にまとめてあります。
黒と黄のクラブカラーの由来は? |
当初は青、白、赤がクラブカラーでした。“ブリタニア”、“レナニア”、“ドイチェ・フラゲ”という3つのスポーツクラブがBVBに加わり、第一次世界大戦前に現在のクラブカラーに変わりました。
サッカー以外でBVBがチームを持つ競技は? |
ボルシア・ドルトムントには女子ハンドボールと男子卓球のチームもあります。
“ボルシア”の意味は? |
“ボルシア”はプロイセン(かつてドイツで栄えた王国)のラテン語名称です。美術や文学で、この王国は“ボルシア”という名の女性としてよく描かれています。19世紀末から20世紀初めにかけては、ほかにも“ベストファリア”や“レナニア”、“ゲルマニア”など、地域の結束を示す名称を持つクラブが多数誕生しました。
BVBの創設は1909年の待降節聖日(12月19日)で、ヘッシュ(今は存在しない化学品メーカー)地区の移民の母国に対する支援を示す目的で名付けられたようです。
BVBの意味は? |
BVBは“バルシュピール・フェライン・ボルシア”(ボルシアの球技クラブ)の略です。正式名称は“BVボルシア09 e.V.ドルトムント”で、“09”はクラブの創設年である1909年を表しています。
多くのファンは“BVB”にそれ以上の意味を見いだし、“ボルッセン・フォム・ボルジッヒプラッツ”(ボルジッヒプラッツからやって来たボルシアの選手たち)の略だという説も出回っています。ボルジッヒプラッツとはドルトムント北部にある広場で、BVBはこの広場に面した“ツム・ビルトシュッツ”というレストランで1909年12月19日に創設されました。